ポンコツ論

 

 

 

21:41から。

 

 

満月さんが勝手来てくれていた本場の透明な冷麺を食べていたらお腹いっぱい。そして辛い。具材なしの袋麺に鶏むね肉のレンチン蒸しと味玉とトマトときゅうりを加えた。うまい。賞味期限が切れかけている卵が4つ残っていて、全部味玉にしようと思ったが、鍋に落とす時の衝撃で1個中身がはみ出してしまった。味玉にするのはやめてゆで卵のままでサラダに乗っけることにする。こちらもうまい。ただ、冷麺がお腹に残っているから後で食べることにする。

 

 

さておき。

 

平常日への切り替えは問題なかった。11時間前には飲み終えて、10時間睡眠時間を取った。睡眠もそれほど浅くない。運転も夕方しかしていないので飲酒運転にもならない。頭の活動は、どうだろう。朝活はいつになったら始まるのやら。

 

なかなかお仕事は忙しかった。研修項目をこなす暇もないし、お昼ご飯にいつ行けば良いかも分からない。このまま待っていてもタイミング逃すだろうから無理矢理素早くコンビニに行っておにぎりを2個買って食った。こういう感じになるのであれば、買いに行く時間を省略するためにもお弁当生活は必須かも。特にご飯に人生劇場の醍醐味を置いていないから、無いならないでも良い。あんまり重視していないからこそ体の維持という意味で意識しないといけないという。

 

知らない人とたくさん話した。僕の素は人と話すのが苦手というか、意味を合わせると醍醐味でもないとしているから、少し空けると途端に億劫になる。だからこそ、仕事で日常的に話すような環境というのは良いのかもしれない。普段優先順位が低いことが仕事では高くなるということは、その分動けるようになるということ。負荷をかければその分響くという部分を捉えれば決してポンコツではない。

 

満月さんから僕が自身のことを良くポンコツだと表するのかというのを聞かれた。特に理由があることでもないから途端には返答できなかったのだが、これは相対的な話ではないから誰かと比べてポンコツであるという卑下の表現ではない。絶対的に足りていないという意味でのポンコツは、単なる観測だし、そうやって僕から観測されていることで自己は満足も慢心もできなくなる。というのがこの劇場の醍醐味というのが返答でありそうだが、意味がよく分からないと思われる。

 

あくまでナカ用の言葉。外に使うと、未熟なところを赦してねっていう表現に捉えてしまうし、そういう調整的な言葉ももちろん大事だとしても、使う単語は当然変わってくる。この言葉に対する感覚は、今の仕事にも転用できそうな気がするのだが、まだ繋がっていない。

 

 

そういえば、「言葉と時間」。ちくちく読み進めているのだが、滅茶苦茶難しい。研究対象が外国語だからなのか、僕の理解が及んでいないかきっとどちらもだが、全然消化できない。あと5回くらい読めば自分の言葉に落ちてくるとして、よく分からないまま読んでいる。まぁ読んでいるということは興味があるということだから、そのうち。

 

「何かがやって来る」も、全然話が動かない。メリーゴーランドが逆回転すると乗っている人が若返るみたいな、根本設定のようなものは出てきたのだが、主人公達が乗るまでが長い。ちょっと「果てしない物語」の主人公が無双しているパートの冗長さと読み味が似ている。

 

ちょっと面白くなってきたのが「ある男」。戸籍交換の仲介業者みたいな人が出てきて物語が佳境に入ってきた。

 

 

小説を並行的に読めない人が、物語が混同されてしまうからという言をどこかで見かけた気がするのだが、特にそんなことはない。これもポンコツの劇場感の賜物と言える。たまたま並行読みをしている人が現れて、倣ってみたらたまたまできただけだし、誰でも倣ったら良い方法論でもない。たくさん吸収する為ではなく、単にそれぞれの本を長く楽しむための方法論。

 

 

やれやれ。

 

このポンコツの劇場感が、日常に全く効用がないのかというと、そうでもないような。

本日で言うと、というか仕事日は結構やっているのだが、料理と洗濯とお風呂洗いとシャツのアイロンがけを並行する。ちょっと今のお仕事の時間感覚も採り入れて、終わりがかなり早かった。合間に漫画も読んでいるし、一服もしているが、完全に腰を下ろしてぼーっとする時間は作っていない。

 

こういうのって、無意識に操縦させているとできない所業。

意識的にやるというより、やるべき項目をやんわり意識してそこから自分を逃がさないという感じ。あくまでやんわりで、言葉にして強固にするとしなくなるからややこしい。やらないといけないことなんて、あえて内部で言葉にしなくても勝手にやるし、やりたいことだって、言葉でやりたいと表現する前にきっとやりたい。

 

言葉のやばさというか良きことでもあるのだが、言霊というイメージ論よりもっと前に、認識(世界)が言葉化することで確定してしまうというのがありそうだなという試論がある。

 

まぁ、良い言葉って良いことだけではなく、当然悪いことも含まれているし。

 

 

はい、ここまで。

 

ゲームをするのか洗い物をするのかはともかく、日記時間はおしまい。

 

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。