とぎれとぎれ

 

 

 

 

21:12から。

 

やたらと眠い。寝不足だったということはなく、変に精神が摩耗している。やるのかやらないのかという雰囲気になって、結局やらないんかいというのが精神の興奮(緊張)の落としどころを見つけられず、さらに色んな項目進められないし、と動いていないという感もあり。

 

だからと言って、しんどいとかはない。どこまで動いたら良いのか分からないときは、動いてみた方が良いのかもなという感じ。他人に合わせて動けないというのは言い訳染みているということにふと気づいた。経験が足りない部分は先輩やら店長やらにフォローしてもらえば言い訳で、動かないと進捗も客観的に見えないよなって。

 

身動きできていないなというとき、だいたい誰かの価値観をトレースしている。その誰かは僕ではない以上、実際は結果だけになって完全に追跡できないから、結局動けないことになる。誰かの価値観では自分の視点での空気を読むことはできない。

 

ここはお仕事の話だが、この感覚は日常にこそ在るべきかもなという次第。

 

僕の取り返しのつかない後悔案件もここに係っている。今の僕であればしないようなことを空気感に合わせてやったことによって二度と話すことができない人が居る。これって彼岸でズレたのか、世界線がズレたかでどちらも同じこと。世界線がズレただけだったらワンチャンそのうち話せるかもなというのはあるかもしれないけども、1度離れた世界線がまた交錯することはほぼない。もう1回別の初めましてくらいの感じ。

 

 

さておき。

 

VIVATを鑑賞中。

ドラマの登場人物はデフォルメされた人間だから、人間を知ることができるとも言えるかもしれない。あくまでデフォルメされた像に過ぎないが、デフォルメされていない他人を捉えられるキャパがある人ってほとんどいないような。

 

 

どうでも良い話。

 

人間はマルチタスクをすると快感ホルモンが出るらしい。集中していると外敵に食べられるから、注意が散漫になるDNAの方が残っているという解釈。天才と言われる集中特化の人物が現れたのが人間が自然をある程度克服して安全になった世界からだというのも分かりみ。

 

何か他のことに注意が向くと、戻るために脳は数分の時間を要すとのこと。見ないようにとスマホに注意が向いているだけで、10%くらい容量を取るらしい。僕はもう特に反射的に返さないといけないとか見ないといけないスマホ情報はないから、そこに注意は取られていない。

 

文章脳はどうかというと、戻ってきた頃には前に書こうとしていた言葉は何処かに行っているということはある。注意とか集中とかの話ではなく、言葉って連続だから、連続が途切れたらその余白を埋めるような言葉はもともとの言葉ではない。作品みたいに、何回も塗り重ねるようなタイプであれば、埋めて増やせるのだろうが、僕は1筆書きみたいな感じだから、途切れてしまうとどうしようもない。もはや別の文章になる。

 

別の文章だろうが同じ文体だから特に問題はないのだが、本日は頭がもともとそれほど文章脳でない様だから、この辺で。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。