使い切り

 

 

 

21:48から。

 

少し遅めなのは帰るときに自転車の鍵がなくなって歩いて帰ったから。久々のお散歩はたのしいものだが、何かフラフラする。低血糖っぽい。これは栄養不足というより、脳のキャパを結構使っただけのような。人と関わるのはどういう形であれエネルギーを消費する。何か常備できて口にすぐ入れられる糖分を用意した方が良いのかも。

 

いや、その前に水分不足の可能性もある。前の職場では仕事しているデスクで水分補給できたから、少なくとも1日1リットルは水を飲んでいた。多い時は1、5リットルとか。今は微妙に飲むタイミングがない。水分を補給する為というより、身体の水分の循環の為の摂取。

 

今の職場だと水を飲みに行くためには席を外さないといけないから、昔で言うところの煙草休憩のような効率の悪さがある。でも、いつお客様が来るか分からない職場だと、ちょっとはしたないプライベートの飲食がはばかられるというのは、合理性ではない感覚的なところで理解できるし、苦情を述べている訳でもない。公務員がコンビニで食べ物やら飲み物を買っていることに対して苦情を述べるのは行き過ぎだけど。

 

 

そういえば、だいたい毎日店長に日報を提出しているのだが、本日の日報の文章の感想が、「小学生の日記であるまいし、もう少し面白いことを書いて」みたいな感じだった。たしかに僕の日報の報告文は今日あった出来事しか書いていないし、1つの枠には頑張っても50文字くらいしか入らないし、なかなか面白いことを書くのは難しい。店長が求めている面白さは、おそらく「ここから不敗伝説を積み上げていきまっせ、うはは」みたいな、ビックマウス的な誇張表現だとは思う。

 

もしくは、個々の項目を実践してどう感じたのかという感想文。感想文の方は50文字くらいでは正味書ききれないし、凝縮しようと思ったら、やはり小学生の日記のような「面白かった」みたいなことになってつまらないと思われる。

 

 

で、そもそも僕のここの文章の構造って小学生の日記とそれほど様変わりしていないようなという説が浮かんで来た。読まれるものとしては書かれているが、読み手にとって面白いような技巧とか演出を凝らしていない。

 

読み易さという点は、どうなのだろうな。小学生の日記の良さは、読めば何が書かれているのかが当たり前に読み取れるシンプルさ。表現が拙かろうが現象の描写としては分かり易い。

 

僕の文章は文字数が少し多いだけで、大筋の何が起こったのかというところは読み易いはず。思索パートとか専門知識パートになってくると前提知識が共有されていないと難しいから、読めない人もいるかも。考察パートもときどき当たり前の感覚とは別のところからやっているから感覚的に読めない人も居るかも。

 

という意味で言っても、小学生の日記の枠から出ていないし、出るつもりもないかもしれない。小学生って興味があることに関する知識で一般的な大人を越えちゃうことがままあるし、世界に対する考察とか思索もまぁまぁアクロバティックになるし。

 

この文章が客観的にどうなっているかはともあれ、小学生の日記のような感覚で変なこと書いているわーくらいの感覚で読めば問題ないということ。

 

日報の文章に僕の文章脳を採り入れるのかどうかは、一応弁えがあるオトナだから入れないことにしておきたい。店長とか先輩女子に対する観察とか入れそうになるし、現象が文章量に紛れて読み取りにくくなるだろうし。

 

無味乾燥な報告文だけでも文字数増やすことは可能。

客観的なデータとか情報を根拠として積んで、それを評価して、結論に行きつくみたいな構成。これは文章脳ではなく法学畑の方だが。

 

 

と、考えていくと、僕の文章には「読まれる為」という営業スキルが皆無なんだよな。

だから、あんまり読者が増えていかない。自分の存在をたくさんの人に見られるようにする営業って、他人にとってではなく自分にとっての営業っぽくて、僕はあんまり売り物としての自分に価値を見出していないから、このスタンスで問題ない。

 

売り物としては価値が無くても、独立した人生劇場の主人公としては、どんな有名人やら億万長者よりこの自分で良いとしているから、自己肯定感は限りなく強い。なにせ、、、(ネガティブな要素の無限羅列は省略)。だれか他の人になりたいって思ったことがないのだよな。いや、1回だけあったか。これは迷っていただけ。

 

 

 

 

やれやれ。

 

そういえば、「ミステリと言う勿れ」が映画化するし、盛り上がっているのかな。僕は原作を読んでいた人だし、ドラマも見たけども、流行とは別に楽しんでいた。いや、何か漫画アプリのキャンペーンで1巻無料とかで入ったから、漫画の時点でも流行っていたのか。まぁ、読んでみても面白くなければ続けない。

 

僕が面白かったのは、主人公の感覚がややグローバルというか、ちょっと一般的な日本人の感覚からはずれているところ。このズレの理由はズレざるを得なかった最初の環境があったみたいな話だったか。真実は1つではないという見地に至れる環境って、読書しまくっているくらいしか思い付かないが、主人公が本を読んでいるという描写はあまりなかったような。まぁ、主人公って主人公を創った作者さんの背景が滲み出るからその辺りなのか。

 

子供の人格形成を粘土に捉えて、足型とか手型が付いてしまうという表現は秀逸。

 

 

そうして、自省録。たしかにこれを暗号化する薄幸の変人美女が出てきたのは読んだが、たしかその前から自省録持っていた。採り入れ口がいっぱいあると、自分が摂取している本がやってきた理由が説明できないことがある。おそらく哲学系の本の繋がりでやってきたのだろうなという気がする。

 

自省録はローマの皇帝が自分を省みる書記で、人間とはみたいなところまで至っていて面白かったような。まだ最後まで読めていない。いや、こういう本は「パンセ」と一緒で、通読するようなものではないのかもしれない。

 

僕の文章も通読するようなものではないが、格調が全く違う。読み手に発見があるから残っているのがこの書記達。まぁ、いちいち発見があるような文章は窮屈だから書きたくないので、問題ない。

 

 

はい、ここまで。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。