ひょうきん

 

 

21:40から。

 

本日はなかなか動いた日と言える。なかなか話題も多い。

 

 

とりあえず。

 

晩御飯はマグロ納豆と、アボカドとタコの食べるラー油味のふりかけ(とごま油)和え。マグロ納豆は僕の分が和え物だけにして、取り分けた残りは丼にする。丼には卵黄をかける。卵白は残しておいても使わないから、塩コショウで炒めてベビーリーフサラダに乗せた。もう少ししたら、吸水しているご飯を鍋で炊きます。

 

(料理パートに需要があるのか知らないが、ご飯も生活の一部なので書いている)

 

 

 

 

そうして遡り。

 

朝は30分早く起きて朝活をした。

 

やっとこさ。30分で何ができるというと、これが仕事中の昼間では漫画を読んだりぼーっとしたりしかできないが、朝に他に何もしなくて良い時間だと自由に使える。資格試験の過去問を5問ほどテキストに書き込めた。これが30日だと150問はできる計算。もっと早起きできるときもあるだろうし、休日はもっとやるだろうしと考えると、やはり何かしたいのであれば毎日に組み込むように調整するしかない。がきんちょの精神でも分かる真理。

 

 

お仕事は、初めて店舗の売上に貢献できた感じ。他人を車に同乗させる緊張感の中で、発話量を増やしてお客様をリラックスさせる。リラックスさせることができたのかは定かではないが、目的とは関係ない東京・大阪と名古屋の違いの話題が出たのは良かったと思う。実際聞いていて面白かった。東京に転勤(出張?)したときに行っていたラーメン屋さんが愛知県に帰って来て名古屋にはあるだろうと思ったら無かったという話。名古屋の独自発展具合にがっかりしたって。

 

そんなこんなでまだ確定ではないけれど初仕事をこなした。店長曰くまぁまぁ大きい仕事になったらしいが、喜びは無いのかと聞かれて、相場も把握していないからスケール観が分からないからなぁと思いつつ、見習い卒業した後に返して下さいと言っておいた。見習い状態だと成果があってもお給料に反映できない模様。

 

 

お仕事では明日も面白そうな予定があるのだが、お仕事の話でどこまで書いても良いのかが全然掴めていないから、読んだところで意味分からないだろうなという感じがある。まぁこの辺りのリテラシーは無意識を信頼しているし、僕が楽しんでいるところが表現されているのであれば個人的には十全。他にも書くことはいっぱいある。

 

 

次は十全に書けるパート。

個人的には面白いことではあまりないけれど、僕の肉に連動している。

 

 

母親からLINEが入っていて、晩御飯を作る前の時間にLINEで返そうかと文面を考えていたのだが、通話した方が早いとなって20分ほど通話した。この通話した方が早いという感覚は習得ほやほやの今のお仕事のもの。

 

話してみると、いじけた感じはやや収まっていた。

新米を毎年自分と僕用に貰っていて、どうしようかという話が母親からすると小手調べの話題。これに対しては満月さんと相談して必要なら送るようにもう1回連絡してという感じ。

 

あと、どうでも良いパートでは、僕が車の運転をしているという話をしたら、「あんたは『ひょうきん』だから、事故を起こすかもしれない、気を付けな」ということを言われる。ついでに資格試験の勉強をしていることについては、「我が家系の男は本番に弱いらしいから頑張れ」と言われた。なかなか呪縛的に言葉を遣う人。まぁ、本日の僕は働き脳だったからどんな言葉でも受け流せる。

 

ただ、『ひょうきん』という表現に対してはたしかだと思う。もともとの性質であって、そういう風に評価されるように生きていた節。最初に遇ったのは、母親の父親が亡くなった時に、死の意味が分かっていない幼少期に、退場後のお祖父ちゃん(大きい祖父ちゃんと呼んでいた)と一瞬添い寝したことがあったような。関西弁でいうと「けったい」とかになるかもしれない。これはあくまで幼少期のエピソードだが、その後にも数日間のぷちホームレス化ということもあったし、他にもきっとひょうきんエピソードはもろもろある。まぁ他人を巻き込んだことは無いのだが。

 

そんな性質を持っている僕にパートナーができたことはとても嬉しいとは言っていた。これは僕がいちいち恋人さんを報告しなかった非もある。報告しないもんで、同性愛者なのかと誤解されていたし。恋人期間が短いし、連絡の間隔が長いから、報告する前にお別れになっていることが多い。僕が報告億劫だからというのが全ての元凶ではある。

 

今回も、引っ越しする前に報告するのが筋ではないかと詰められた。

はい、仰せの通りですと答えるしかない。報告しなかった理由が後ろめたいとかではなく単なる億劫だから、常識としては筋よねと言われるとたしかにそうだとしかならない。

 

ただ、若干面白いなと思うのが、帰って来いとは言うのだが、僕1人でと念を押されるところ。パートナーさんも忙しいだろうしとか、パートナーが居ることは嬉しいけどもそれは置いといて、それ以前の話をしようって。いや、常識的に考えれば、満月さんと結婚するのであれば硯家の問題だけでなくなるし、そもそも今後は以後の話しかない気がするのだが、何の話があるだろう。

 

ちょくちょく「男だから」みたいなフレーズも入れてくる。ご飯は僕も作っているという話題に対して無理矢理ぶっこんできたから、何か混乱があるのかもしれない。「男がしないこともしないとね」とか、いや、もはや人間としてできることはやっていますわとなる(もちろん言わないけれど)。

 

まぁ、これが硯家の話ではなく母親自身の話だったら、なんとなく満月さんを疎外したい気持ちも分かる。我が母って他人に対する人当たりは良いけれど、基本他人のこと好きではないし(生後云年の観測知)。たぶん他人が好きだったらそういう風に世界線が構築されていると思われる。母親は実家とはいまだに懇意だけど、子供達とは疎遠になっているのはきっとそういうこと。

 

他人のことが好きって言うのは、自分に利になるとか都合の良い人だけと仲良くできるということではないと個人的に想っているのだが、どうなのだろうな。

 

変な話、今の仕事になっているのは、こういう言葉だけの何某かに耐性を付けるためかもしれない。昨日ピロートーク世界線の話をしながら寝たから、世界線を移動する夢を見て若干こじれている。世界線の移動は、時間軸ではないという夢だった。時間軸は概念的に一直線だけど、世界線は時間軸とは別のところにあって、人類単位で考えたら結構ループしながら微々移動しているという感じ。

 

スケールを縮めて、個人的な単位で考える世界線

これは読み物として読んでいただければいい話。緊張って常識とのすり合わせの時に起きる反射だよなって。自分の世界に居る限り摩擦はないのだが、新たな舞台に上がってその場の常識的に振る舞おうとすれば、ぎくしゃくするというのが緊張。結婚式のスピーチを初めて頼まれた時みたいな。

 

あと、「言葉と時間」のギヨームさんの名言とかあるのだが、本日はここまで。

 

楽しんだなぁ。

 

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。