転移

 

 

 

21:47から。

 

急に気温が下がったから本日のメインは鍋。

基本的には自分で味付けするのだが、この前満月さんが買っていたにんにくしゃぶしゃぶのたれを使った。思いの外薄味。ちょっと煮詰めよう。白菜入れ過ぎたかな。

 

野菜盛り盛りが好きなので、きのこもいっぱい入れた。ついでに厚揚げからだしも出るかなと。スープは美味しいから、もうちょっと火を入れて浸透させたらちょうど良くなるはず。

 

これ、ご飯を入れて雑炊にしたら無茶苦茶美味しそう。

鍋の醍醐味。

 

 

さておき。

 

仕事では本領発揮というか、昨日の経験ツムツムを血肉にしたのか、1件成果を物にした。

とりあえず早く見習い脱出しなさいと店長に言われるくらいの成功率なのかは知らないけども、知識も営業スキルも積んでいない2カ月ちょい時点でこれだけの率だったら、今後は更に楽しくなるだけでは。

 

店長の直感では今日は無理っぽいかな、だったのだろうが、覆した。

 

 

具体的に営業分析をしてみる。

 

昨日の経験を踏まえたのは、裁量の部分。会社から前提とされているから動かせないと突っぱねる必要がない領域があると知ったことで、若干余裕がある。1回チャレンジをすれば良いという感じだから、割と気楽。おそらくチャレンジすらできない人が居るから、そこが全体的に問題なのだろうな。

 

あと、本日のお客様は単に相性が良かったのもある。逆に言えば、店長でも先輩女子でも無理だったかもしれない。なにせ、自然派の人で、山とか森とかの話で盛り上がるのはもともと山育ちで無いとできないだろうし。帰り道のドライブでの雑談は無添加の梅干し食べたいですねぇと縁側で話しているようなほのぼの感。

 

(もっと逆に言えば、僕はもっともっと一般的な都会感覚の雑談に共感できるようにならないといけないということでもある、ここは知識問題)

 

 

あと、ある意味どうでも良い話なのだが、たったの4,5時間しか関わっていないのだが、この前書いていた心理学上の「転移」が物理的に起こって面白かった。嗅覚にも集中があるというか、気になった匂いは一旦気になると最初は感じなかったとしても鼻がそこを注視してしまうという現象は僕のものではなくてお客様の体感だったのだが、実際そうなってしまって、このお部屋を無理やり薦めても無理だなとなる。

 

そこから物語があるのだが、あんまり書くと、わが社のネットリテラシー部門に特定されるかもしれないから、あんまり書けない。

 

一般的な感覚の人には話せないのだろうなということをいっぱい語って貰った。

勉強になりましてありがたい。

 

だもんで、満月さんに語ることにする。

あとは発話でネット上に残らないところでは語れるから、僕のウェブ上の存在を知ってなおかつ現実に関わることがある人には発話上で語れることは増えていく。

 

まぁ、当然文章には文章の醍醐味もある訳で、文章を書くことが逃避だとか、非現実だとかと捉える人にはその存在を語らない方が良い気がする。

 

個人的には、一般のレールから外れていることは、語れる人にだけ語れば良い。

レールから外れている人に結構強みがある模様。

 

ちなみに、今日の達成感は、僕が仕事で成果を出したことより、お客様がより良い環境を得てくれて良かったところにあるから、なんというか、面白がって居れば結果が付いてきたという感じ。

 

面白がるという概念は、やや「嘲笑」のニュアンスが含まれているような気がするが、僕は基本的に人を見下さないので、色合いが違う。他人の人生劇場をより面白くできることに関われるって、めっちゃ面白くないかという話。完璧に理想と現実が一致するって奇跡だから、奇跡を求めている人に、奇跡より縁だよねって納得していただく感じ。

 

これって、おそらく表現者の感覚っぽくないかという気もする。

自分が面白く動いていたら、誰かの精神をいっぱい動かしてしまっていたみたいな。

 

人生劇場を面白がれる精神性の前提は、世界のことを他責にできないことだったりするような。

 

そうしてこのまま本の話へ。

 

若返りのタイムスリップの本で50歳くらいの主人公の父親に、10歳若返ったら10年分楽しめる、20歳若返ったら男盛りですよみたいに黒幕が誘惑してくる。

 

こういう誘惑ってどうですか?

 

僕はもう一般的な人生劇場でいうところの半分弱くらいに経年しているけども、別に若返りたいとは思わない。若返ってやり直せることより、これからできることの方が遥かに多いし、あんまり時間が一直線であるとも捉えて居ないし。

 

若い方が良いというのは、可能性がより拡がるというという感じなのだろうけども、そんな訳はないんだよな。可能性をもはや終わったところに求めている時点で、戻ったところでそんなに可能性がなさげ。

 

いや、もちろん、若さという可能性にしがみつきたい層が居るのは分かっている。

特に女性だと、出産の為の肉体的なタイムリミットが在る訳で。

 

僕としては、特に血の繋がりに価値を置いていないから、仮に満月さんがそのリミットを越えた後に子育てしたいなってなったら、桃太郎みたいに養子を授かるルートもあるからなんとでもなりますわと言っちゃいそう。

 

僕のDNAが繋がっている子供には僕の生来的な傾向が遺伝するだろうけども、実体験として、親の因子よりその後の環境の方が人格を形成している割合は多い気がするから、あんまり関係ないのだろうなと思っている。愛着も血が繋がっているかどうかより、どれだけ長く過ごしたかだろうし。

 

こんなことは文章でしか語れない。

普通に生活を形成している人にこんなことを言うと、頭おかしいと思われるのは分かっている。でも、別にあえて存在として周りに承認されたいという世界観でもないし、そこまでの自己と世界の一致を求めても居ない。

 

あ、駐車音が満月さんだ。

帰って来たっぽいかな。

 

 

こう考えていくと、村上さんの小説は結構ルートから外れている人のことが語られているのかな。読み方としては、自己とは離れたとこで読む感じ。そんな奴おりそうでおらんやろという人がいっぱい出てくる。

 

でも、現実でも、そんな奴おるんかっていう人はいっぱいいるという意味で言えば、どんな人生劇場も世界観を更新していかないと楽しくないのかもしれない。

 

 

という感じでおしまい。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。