もふもふ

 

 

21:48から。

 

 

昨日は言葉が全然出なくて早々に寝ました。買ったビールも全部飲まないとか、なかなかの次第。別に体調ではなく心調であって、言葉が出ない方がデフォルトと言えなくもないような。自己を認識するためには言葉はおろか感覚も不要だろうし。これらが必要なのはむしろ認識させる受動側になったときか。言葉とか感覚の対象になった自己は客体になる? 知らんけど。

 

ともあれ。

 

寝て起きたらやや上向きになっていた。

睡眠は全てをリセットさせる。山とか森とかもリセット作用あると思う。

 

 

どうでも良い話だが、会社がネームプレートに任意の資格を記載しても良いということになって、店長から行政書士を入れたら良いのではと提案されたことを思い出した。あんまり関係ない資格だが、この業界では珍しいだろうし、なんというか、ちゃんとしている人感が出るかもな。持ち腐れも勿体ない。使えるものは全て使えば良い。

 

ただ、もちろん申請するためには証明書が必要な訳で、本9割5分の引っ越しの荷物の中に入っているかなと、発掘作業をした。まぁ出るわ出るわ、膨大な本。それでも羊をめぐる冒険の上巻は出てこなかった。

 

女性作家の小説も割と多い。辻村深月さんとか小川洋子さんとか吉本ばななさんとか川上未映子さんとか。女性っぽい名前だなと思っているだけの人も入っていそうだが。有川浩さんを女性作家と認識せずに図書館戦争シリーズと植物図鑑を読んでいたし。まぁ、正味書いている人の性別とか属性とかどうでも良くて、作品が面白ければそれだけで読むから人柄は気にならない。エッセイとかブログまで面白いのは森博嗣さん。元助教授だから文章の構成が上手いのかな。そんなことより価値観がとても好き。

 

 

発掘作業をしていると、院の卒業証書の立派な背中合わせの額縁に挟まれて、A4の合格証書が見つかった。よく捨てずに持ってきたものだ。総務大臣大阪府知事の名前に時代を感じる。もう1回受けたらどうなるだろうな。

 

 

なんにせよ、これでやや個性的なネームプレートにできる模様。

 

 

 

やれやれ。

 

羊をめぐる冒険が見つからなかったから、お風呂読書には15年前くらいにバイトしていたところの店長に紹介された現象学をベースにしている探偵小説を追加した。当時は読み進められなかったんだよな。笠井潔の「バイバイエンジェル」というやつ。この店長、本は長ければ長い方が良いという哲学だったから、雑談するの楽しかった。周りのパートさんとか社員さんには、よくあの店長と話しできるなと言われたものだった。

 

陰口ではなく直口だったし、逆に僕としてはそれを言ってきていた人達との雑談の方が神経使っていた気がする。別にどちらとも話せるのだが、後者に世界観を合わせると僕はとてもちっぽけになる。普通なら新卒で社員になっている歳に資格試験の勉強しながらフリーターだから、頑張らなあかん人という設定にしかならない。実際そこに居ない人からストイックさを求められる。まぁたしかに継続している人に対して継続は無理あることだとしないと、存在が薄まってしまうのかもしれない。いや、単にキャラとしてそういうものだとしたいだけか。

 

同じくらいの感覚で色々得られていたら外から見ていられなくなるもんな。

 

 

 

あと、ニーチェさんの「道徳の系譜学」があったもんで、哲学枠も追加した。光文社で、翻訳者が中山元さん。中山さんは著書を読んだことがある気もする。哲学がアプリオリ(経験の前に認識されているもの)を探究するのは、そもそも人間には経験で得られる認識の他に何かがないと経験から何かを得られないという実体験があるような。僕もこの辺りは感じる。経験になってしまえばたしかに世界の前提として組み込まれるけれど、宇宙の起源みたいに自分の起源を省みたとき、経験が全くなかったときにも世界を認識することができないと、自我は生まれないよなと。宇宙の起源がビッグバンであるという説も人間の認識の起源のメタファーみたいなところがあるのでは。

 

妄想し過ぎた。

 

人間の起源と繋がって、満月さんがこの前ライブに行った時に立ち寄った古書店犯罪心理学の入門書を買ってきてくれていた。これももちろんお風呂読書に追加。犯罪心理学の分野もいずれ読みたいなという感じだった。

 

この学問で把握される人間というのは、犯罪をした人間だから人間全体ではない。犯罪に至った人間性を探究することは、過去のシリアルキラーがどうだったかみたいな野次馬精神ではなく、今後罪を犯さない人間性はどうやって構築されるべきかということだから、未來に向いている。

 

どの学問にも大家の人が居て、犯罪者の精神をいくつか要素で分析して因果関係を診断するという方法らしい。いまのところ生物学的、心理学的、社会学的、環境的みたいな、序列があるという印象。個人的には生物学的な要素が最初に来るって結構違和感がある。この考え方って、骨格の形成によって犯罪傾向が決まるという説を提唱したロンブローゾ(記憶が曖昧)からあんまり変わっていないような。

 

たしかに、物事を因果で捉えないと、周りに説明が付かないし、納得させることもできないという社会的な舞台からすれば、より分かり易い説明をするためには、より納得できる因果関係があった方が良いというのは分かる。

 

個人的にも一応因果的な世界で生きているところだけども、まぁまぁ無理があるようになってきていないかという気がしないでもない。だって、ほんとにそれが正しいんだったら、とっくにもっと世界は好転してないかという素朴な見方。

 

 

こうやって単なる読書でも体感に持っていくと、本を読んでいても観客感ではなく臨場感になってくる。

 

宅建の問題解いていても臨場感になるくらい楽しめるようにすると面白くなるのだろうけど、正味味気ない。もっと読み込めば楽しくなるのかもしれないので、あと試験までにある3日の休日でそこまでもっていきたいところ。

 

はい、ここまで。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。