均均

 

 

 

22:16から。

 

 

満月さんが出勤前の朝からカレーときのこのマリネ(味付けは僕)を作ってくれたもんで、定時ちょいに上がって帰って来るまでに日記も仕上げて、その後は桃鉄をするかという話になっていたのだが、なかなかままならない。

 

ご飯は炊き終わっているからご飯ですることはない。ひたすら書くという意識。

 

 

どうでも良いけれど、昨日の日記はタイトル詐欺だったのではないかという気がしないでもない。書き終わった後に出て来た言葉がアレだったもんで仕方ないのだが、猫との暮らしを書いている人にスキをいただいていて、もふもふ感一切無い日記で申し訳ねぇなと思いつつ、読みに行ってもふもふ画像で眼福でありがてぇ。

 

 

さておき。

 

お仕事はあんまりお仕事っぽくない事務作業が多かった。残業になったのもそのため。早め早めにしろとは言われるが、何を早めにすれば良いかそもそも分からないところもある。なにせ僕の仕事状況の全貌が店長にすら把握されて居ない感じ。でも、店長の忙しさを鑑みるに、新人の全貌を把握できるような環境が整っていないのも分かる。この店舗は事務方の人がとても優秀だから、困ったらとりあえずこの人に聞くようにしている。

 

先輩女子は事務方としては優秀なので、事務処理系は何でも答えてくれるのだが、裁量が入ってくるとたぶん判断する権限がないので、やや歯切れが悪くなる。ついでに、あまりに浸透し過ぎていることは説明が省略されるから、ほんとに聞こうとすれば、聞く側である僕が疑問を把握していないといけないというのが分かってきた。別に悪口ではなく、そういう人なのだろうなというだけ。

 

事務作業も体系的に把握できるようになれば、おそらく落とさなくなる。

本日の説明で、店長から「全部」お客様に送ると言われたのだが、その「全部」って何が入っているのですか聞き返すしかない知識レベル。さらに聞けば教えてくれるというのは、成果に繋がる実践の練習でもあるようで、結構楽しんでいる。

 

ついでに、教えてくれるってかなり親切なのだろうなと感謝もしている。

店長レベルが全部管理して、あんまり個々の下に考えさせないようにしろみたいなのが体育会系の上の方針っぽいけども、うちの店長は裁量ができるように教育してくれるという。

 

 

感謝という単語を頭に浮かべると、顔が上がるというか調子が上向くことに気付いた。

スピリチュアル系ではなく、単に僕が素朴に感謝していることを言葉で認識させるというだけ。社会的な枠でまなざすと、なかなか感謝って起こらないのだよな。

 

 

仕事の話からいつもの変な話へ。

 

ニーチェさんの「道徳の系譜学」、今読んでちょうど良くてありがたい。

昔の哲学書ってしれっと端的に本質を書いていることがあって、だから今でも読めるように残っているのだろうな。

 

noteの記事で、書き続けるためには書く環境かつネタが要るという話は端的で良かったけど、書けないのは何故かというところの対偶を書くために文字数を引き延ばしている感が冗長で嫌だった。いや、そういうのが好きな人は読めば良いと思うし、上とか下とかではない。こういう予防線を毎回張らないといけないのも変。そもそもここに反発するような人は僕の文章を読み続けられないだろうし。

 

で、ニーチェさんは13歳の頃、善悪を哲学していたとのこと。

僕もあんまり人のこと言えないから、僕の眼からすれば、別に変な人ではない。

 

アプリオリはともかくとして、今日の僕に響いたのは、契約は均衡を前提としているというフレーズ。これっておそらく善悪とか正義とか道徳にも繋がるところだろうなという感じ。

 

法律学も基本的には均衡が存在価値だから、権利義務でまなざす世界には自分が不均衡になっているか、均衡を保っているかの2択しかない。均衡を保っていても不安は尽きなかろう。

 

バランスの世界はこれはこれで好き。

均衡は社会においてなんだかんだ最重要くらいの大事さ。

 

日本の道徳観念も結構均衡があるよな。お客様は神様であるのは利益をもたらしてくれるからだし、情けは人の為ならずもなんだかんだ自分に返って来てとんとんになるという感じだろうし。相手の立場に立つのも、あくまで自分が前提だし。

 

こういった日本の感覚はメリットもあってデメリットもあって、デメリットの方が強くなっている印象。

 

 

僕がこの「均衡」を読んだとき、だったら愛は不均衡だよなと思っただけ。

不均衡の余剰が愛というより、不均衡でも問題ないというのが愛。これを均衡観で測るのはそもそも間違っているにも関わらず、均衡でしかまなざされないのが普通なのだろうなと。

 

いや、別に愛に定義はないけれど、何か返ってくるべきものだというのはあんまり愛とは言えない気がする。

 

この不均衡がないと感謝という概念は無いような。

感謝は均衡の世界にもあるけれど、均衡の感謝はあんまり面白くない。

 

なんだかもう細かく書く気が失せたみたいなのでここまで。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。