夢のまた

 

 

22:05から。

 

料理しながら文章を書くというのは、あんまり食べ合わせが良くない気がする。牛こまキムチビビンバみたいなものを作っている。焼き肉のたれは自家製で作った。フライパンにご飯を引いて、もやし、牛こま肉、キムチを乗っけて5,6分らしい。まだ2分だが、プロパンガスの火力は強いからやや気になる。

 

これは満月さんからのリクエストで、自分用に豆苗と豆腐とツナ缶と卵でチャンプルーをちゃちゃっと作った。普通にバランスが美味しい。これをご飯にかけてもいけそう。

 

できました。美味しそうな匂いがしたから味見しなくてもきっと大丈夫。

 

 

 

さておき。

 

 

本日、不思議な夢を見た。

 

満月さんに話したらグロテスクなのに喜々として語るとか病んでいるのかと言われたが、前半部分しか語っていないからもしれない。つまり、前半部分はご飯の冒頭と食べ合わせが悪いので、読むならご覚悟を。

 

 

 

 

前半。

 

右手が痺れるような違和感。病院に行くと小指以外の第二間接のところに、虫が育っていた。カブトムシの幼虫がイメージできる人にはよりグロテスクなる。このカタチで指に収まるサイズの感じ。親指にはそれが育って蛾のようになった虫が収まっているらしい。お医者さんは、成虫にはライトを当てておびき出し、幼虫はピンセットで取り除く。幼虫に関しては、「簡単に取っているように見えるだろうけど、素人が取ると取り切れないからやめなさいな」というようなことを言われる。

 

グロテスクな感触は、今この文章を書いていてもやんわり残っているが、気持ち悪さというより違和感なだけ。

 

この夢、フロイトさんに分析してもらったらなんて言われるだろうな。

 

後半は、かつて通っていた中学校で何かお祭り騒ぎが起こっていた。

この辺の土地、単純に綺麗だから今でも行けるなら行きたい。別に、当時の友人とふらっと再会することは要らないけども、夢に出てくるということは、案外再会しても問題ないと思っているのかも。

 

色んな人が出てきて、幼馴染だった人が、結局誰にするの?」と聞いてくる感じ。僕がそれに答える前に夢が終わった。

 

ラカンさんの精神分析の本の中にフロイトさんの「幼少期はもはや無い」みたいなフレーズが出て来た本日のお風呂読書。これはどういう意味かと言うと、自分の起源を辿ったところで、記憶が途切れているところにたどり着くけれど、人はそれにも関わらず自分の同一性を信じているという精神性に対する言及。

 

個人的には自分に同一性という評価をする必要がないがないと思っているのだが、きっと主流ではない。同一性は言語で説明するものではなく、なんというか、単に存在しているものという感じ。

 

後半の夢もフロイトさんならどう解釈するのだろうな。

 

まぁ、別に現実に不具合を感じていないから、夢に何かモチーフとして比喩化されることはないと勝手に思っているものだから、夢は夢として解釈するだけ。

 

 

 

お仕事。

 

なんとなく流れに乗れてきた感じがある。

こなれてくると新鮮味が無くなるが、そこはきっと問題ない。誰に対しても同じ対応をすればなんとかなるみたいな世界観は一生持ちえないし。

 

 

文章脳が途切れたのでここまでしとこうか。

 

 

はい、寝ます。

おやすみなさい。

 

 

良い夢を。