時短
21:52から。
満月さん帰ってきたな。
本日は公告品だった、豚モモ肉の切り落としで生姜焼きを作った生姜のみじん切りを入れたから、かなり生姜味が強い。うまいらしい。
昨日はサイゼリヤに行って、生中2杯とデカンタ(500ml)の白ワインをいただいた。白ワイン久々に飲んだが、500はなかなかの量。白ワインの酔いはおとなしく、文章脳には合わない。12時間空けたから朝には抜けていた。
その後には、ゲオで買ったバイオハザードのリベレーションズをして就寝。なかなか面白い。実況動画でしか見たことないゲームを自分でするのは、操作の拙さを楽しむ感じになる。あと、視点を動かしていくから、目力を使う。視力が落ちるというのは2Dの昔のゲーム特有の効果なのかも。知らんけど。
本を読み過ぎると視力が落ちるというのもあったような気がするが、漫画から小説からスマホまで本ばかり読んでいるにもかかわらず視力1、5~2、0のまま落ちていないから、俗説が適用されないだけかもしれない。
お仕事。
なんとなく一員と認定されたのか、あんまり浮いたことはせずに心の傾け方を成果に直結するようにすればとアドバイスをいただく。たしかに、個人的にも本日した仕事は成果に繋がるというより、道楽に付き合った感じだった。
研修が解除されて成果が実績に直結するようになったらもっと面白くなる。
これ頻繁に書いているフレーズ気がするが、そう想っているのだから仕方ない。
お仕事と言えば、4年越しの友人とは休みが合わなくて会えそうもない。
向こうは土日休みで僕が平日不定期なもんで縁が無いような。僕がもう少し仕事で経年していれば、無理矢理土日に休み作ることも可能な気はするが、まだ赤ん坊だし、そこまでして会いたいのかというと微妙なところ。
これを書くと薄情でしかないのだが、会わなくても問題ないから4年音信不通にして問題なかったという。同じく大学時代の人で音信不通期間が同じくらいの人が居て、この人とは今でも連絡取れないのだが、なんとか時間作って遇えれば良いなと思っている。
違いは相性でしかない。
やれやれ。
時間の話というか、人生劇場の残り時間をふと思う。
物理時間的にあと100年生きるのはほとんど無理だし、精神時間においても何ができて、何をしないのかみたいなところは考えていかないとなと。別に世の中に残すとかそういう意味合いでもなく。
「羊を巡る冒険(下)」を読み終えて、「ねじまき鳥クロニクル(1部)」を読み始めた。
10分くらい良いじゃないという電話がかかってくるところから始まるのだが、仕事ならともかく、プライベート時間の10分って他の可能性を削るからなかなか希少価値がある。
仕事だとどんな仕事であれ、ある程度パッケージとして時間を費やすことになるから、その中身の収支は特に考えなくても良いのだが、プライベートに不自由があると精神衛生が濁る気がする。だから私的時間の中で電話するのがとても苦手という意識は共感されるかどうか不明。
高校~大学以降くらいに携帯が出てきて、メールのやり取りで私的時間が消費されたことを想い出す。来たら返さなくちゃという固定観念があるもんで、優先順位がバグってしまう。
僕の自分時間は、基本的に他者との関係が優先で、何も無ければ、やっと、じゃあ自分で決めようかということになる。ここの自由の中で本を読んだり文章を書いたりしている。満月さんは他の人でも僕と番になれるのではと折に触れて言ってくるが、僕の自由を確保してくれる人はなかなか居なかった。
別に生産性を確保したい訳でもない。
自分時間で5時間散歩するとかやっておったし、きちんと自分が選んだ時間を過ごしているという実感があれば、中身で何をやっていても問題はない。
家族は仕事なのかというと結構グレーゾーンだと思っているのだが、なかなか微妙なところ。例えば子供を授かったとしたら、そりゃあ自分時間より優先すべき項目ができる訳だけど、子供を授かることを選んだのは自分だから自由とも言えるし、パッケージとしての時間が生まれるという意味では仕事めいているとも言える。そうなったとて、それが嫌だと決してならない。
何事においても、愚痴を言っても良い世界観がどうも分からない。
あんまり倣いたくない。
今日はここまで。
おやすみなさい。
良い夢を。