だいじょうぶ
22:20から。
残業して洗濯してお好み焼きを作ってやっと落ち着いた。
もちろん、書く時間が遅くなったことでイライラはしない。早く書けば良いだけの話。
何があろうとできない外を理由にするのは他責的な世界観だから、おそらく物理的に移動しても何処にも行くことはできないのだろうな。
お仕事で、そういう転移があったというか、ちょっと影響され過ぎたのという感じ。別に良い悪いとかの話ではなく、漂わせている空気が虚ろというか、自分以外の世界を映していないというか。割と母親と似ている感じ。僕にも改善すべきところは多々あるから、経験として蓄積するだけ。
まぁ、ここからどうなるかは分からないが、なんだかんだ上手くはやれているような。
店長曰く、硯さんの経験値では荷が重いのは一目で分かったと言っていた。たしかに。
ただ、こういう人とは結構付き合って来たから、なんとなく関係性はできているかも。
問題は、悲観的な人格が転移されると、自責の念みたいなところで頭がいっぱいになって、物事を考える余地がほとんどなくなってしまうところ。状況に同情して他人事として悲しくなるというより、僕もその世界の中で生きなきゃなとなって、僕の世界観だと世界とか他人に責任を転嫁できないから、出口が無い完全な不安の袋小路になる。
嫌いとかという価値観ではなく、僕にとって悪影響な人はあんまり関係上に置くべきではないなという価値観。これが他人への好悪とするのであれば、僕は結構好き嫌いが激しい可能性がある。別に接することはなんでもないし、どんな世界観を持っていても割と許容できるけども、自分は守らなきゃなと。
いかんせん、割と自分を守るということができないのだろうなと、他人事的に観測している。
肉体の保持も精神の保持も問題無いのだが、社会的な側面だと、自分に社会的な価値があると思っていないというか、その価値がどうでも良いというかだから、この面での自分を蔑ろにしがち。これは僕の目から見れば楽しみ要素だから、悲観的にはなり得ないのだが、視界を補正すると、やっぱりちょっとおかしい気がする。
あんまり根本的なところを書くと、文字数が減っていく。
その行間に思考時間があるということにしてそろそろ納めようかな。
あぁ本のお話。
柄谷行人さんの本って読み易い。あくまで自分の世界の話であって、それが他者に理解されるかどうかは別問題として語っているところ。
村上春樹さんもまぁまぁそんな感じがある。
お酒を呑むタイプはおおむね2つで、何かを足す為に飲むのか、何かを引くために飲むのかというフレーズとか。僕はこの両者に振れ幅を持たせながら足す寄り(筆が捗る)みたいなところで呑んでいた頃があったが、今は単に美味しいついでに筆を滑らせているだけ。
素面でも文章は書けるのだが、まとも補正が入って滅茶苦茶堅苦しくなる気がする。人と接するのも素面だとまとも補正が入るから、ポテンシャルを全然発揮できていない。
いや、これはポテンシャルの話ではなく、単なる世界への開示なだけのような。
少ないけどもここまで。
おやすみなさい。
良い夢を。