だてめがね
21:33から。
のんびりしていると、世界から色々取られている気分になる。
別に、社会の構造とか弱者みたいな話ではなくなんとなく割に合ってないなというだけ。
与えるから自分が足りなくなるという素朴は無いから、これは何処かからインストールされたものだろうなとふと気付く。僕は1人で過ごしていた時の方がむしろ自分を余らせていなかった。お金は少しは余っていたかも。毎月本をたくさん買っていた。
どこからのインストールだと思うに、おそらく母親をベースにした社会そのものだろうな。たしかにこの視点だと、僕は良い加減怒って良いくらい搾取されている気がしてくる。
この視界だと、人生劇場が疲れるしかない。
この視界、マジで文章も書けなくなる。
この世界に参与せずに、ちゃんと回してくれる人に回していくようにしようという話に持って行くためにもっと言葉で繋げるつもりだったのだが、なんだか間の言葉が出なかった。
別に僕に返って来る必要はなく、貯め込まないというか、他に義務無く回していくというか。
色々あるのに、言葉が詰まるなぁ。
あぁ、体も心も元気ではあります。
ちょっとどうでも良い話をしたら、詰まりが取れるかもしれない。
先輩女子が、生活保護にまつわる判決が出たことを語っていた。
当事者からしたらとんでもない話なのだが、ぽろっと出た本音に一般社会の本質がかいま見える。税金で生活している人が税金使って裁判して税金から慰謝料取るなよみたいな。
血税への意識って凄いと思う。
生活保護の金額を引き下げることが違法であるという判決らしい。僕が気になるのは法的にどう判断されたか一択。生活保護って、人権として保障された生存権の法制化だから、表現の自由とかと同じように、国家がなすべき所作。これに対して文句があるのであれば、憲法改正運動をするか、もっとごりごりして努力が対価に直結する国に移住するしかない。
裁判の経済的合理性とか考えだすと、人が裁くよりAIで人件費を省エネしたら良いという話になってくるし、これを言い出せばほとんど仕事においてそこを維持するだけならAIでできるよねという話になってくる。
この世界でも自分が人間で居られるかと問われると、普通の人間であることに甘んじている人には凄い危機感が生じてくるような。
人が移動するに際して、やたらとお金がかかるのはどういうメカニズムなのだろうとかを想ったのだった。僕の生活圏のバス代が上がるらしいのは、普通の意味の物価上昇もあるだろうけど、賠償リスクの為に積み立てておかないと、という意味合いもあるのかもしれない。
金銭的には人の価値がインフレしているけども、実体的にはデフレしているような。
だって、どれだけお金を積んだところで個人の人格は買えないのに、とりあえず買える物として価値づけるようになっている。
もちろん、普通の人間を装えることは大事。でも、普通の人間であると装い切っている人ってほとんど居ない。どうでも良いし、クレームを連絡するつもりもないのだが、郵便局のバイクが前の車が右折にまごまごしているときに、何か悪態を付いていたのを見て、この人も人間だよなと想う。職業倫理的にはきっとアウトだが、こういう方が人間味はあると思う。
悪態付いても、やることはやる。
普通の人間って三角形みたいなもの。
頭の中にしか完璧に存在しない。
ちょっと盛り上がって来たのだが、もう今日は時間切れ。
おやすみなさい。
良い夢を。