人知らず

 

 

22:23から。

 

遅い。本日早めに書き始めて早めに寝る感じと思っていたが、そんなことはなかった。残業もあったし、なかなかままならない。

 

コントロールできないところは仕方ないのだが、甘く見られている部分もあるのかなぁ。

自分で自分を守れと言うのは、これまでの人生劇場でも節々で言われてきた。本日も。ここを根っこから改めることはできないけども、そういう振る舞いをすることはできるかもしれない。

 

お仕事。

 

文章を確認し過ぎて単語がゲシュタルト崩壊。何が正しいのか分からなくなる。確認は大事だけど、確認そのものというより、確認できる余裕が大事なのだと思う。確認しなきゃという強迫観念とか、他に懸念事項があるときに確認したところで、エネルギーばかりかかって精密性に欠ける。欠けた意識で確認しても正しく確認できる確率は低い。むしろもっとフラットに見れるような意識であった方が、視界が拡がって色々見えるような。

 

余裕があることと、手を抜くことはイコールにはならない。

1つ1つの案件に時間をかけなくなることと手を抜くことがイコールにならないのと同じ。

 

 

そういえば、昨日の桃鉄パーティ。

楽しかった。

 

満月さんが友人を迎えに行く1時間ちょいくらいの間、お母様と2人。ご飯の準備のお手伝いやら雑談やら、操作したことがほとんど無いアイフォンの不具合を教えるやら。

 

ご飯の準備は、なんてことはない。YouTubeを見て初めて作る大根と餃子の皮と豚肉のミルフィーユ鍋を2人して試行錯誤しながら作る。味付けが薄いとかなんとか。完成品は僕としてはちょうど良い味付けだったが、満月さんの友人にはちょっと薄かったらしい。ポン酢を追加して食べていた。

 

雑談。結構サバサバとしている方で、ここに来るのは億劫ではないのかストレートに聞いてきた。「嫁の実家に行くなんて」ともう結婚している扱いなのはともかく、別に億劫じゃないから億劫じゃないですよと答える。実際億劫だったとしても外部的には同じ答えになりそうだが、内部的には気を遣わなくて良いから億劫ではないで正しい。

 

あと、貴方(実際は「あんた」)といると娘が落ち着いているねとしみじみと言っていた。たしかに満月さんは出逢った頃より随分と落ち着いている。安心感というより、心理的安全を得ている感じ。知らんけど。

 

アイフォンは、設定のアプリがホーム画面に無くなってしまって不便だと言う案件。僕もアイフォンの操作には全く慣れていないし、アンドロイドだと設定はアプリではないところにあるからどうしたものかと思ったが、常識的に考えてそんな大事なアプリがアンインストールできるようになっているはずがなかろうと、アプリを検索できるバーを探り当てて設定のアプリを見つけて、ホーム画面に追加して復活させた。

 

ほら、余裕があるときは色々見える。

 

そうして、満月さんの古参の友人と初めて会った。

お母様と推しの話とかスキンケアの女子トークができる面白い男性。たしかに手が綺麗だった。気を遣って手入れしているのだろうな。お母様がこの人のことを好きに見え受けられるのは、女子トークができるというより、役割とか立場で相手を見ていないから。満月さんのお母様という見方ではなく、単なるその人、みたいな。

 

そういう人は一般的にはあんまり好かれないというか、扱いが難しくて疎遠されそう。何か趣味で繋がれば仲良くできる人はいっぱいできそうだが、社会という立場で繋がっていく世界には相性が悪そうな。

 

もちろん、僕はこういう人、全然嫌いではない。

仕事にシビアな感じなのは、ズレている自分を自覚しているからだろうし。役割で動く場なのに役割こなそうとしないのは何なのとか、役割が管理なのになぁなぁで現場に出るようなのはおかしくないとか。

 

この友人さんのあだ名はそのうち付くと思う。

何回か会って、なんとなくしっくりくる言葉が出てくるだろうし。

 

誕生日の弟勇者氏もなかなか機嫌が良さそうだった。

最新の劇場版ゴジラを勧められたから、見に行ってみなければ。

 

やれやれ。

 

満月さんに、貴方は普通に人見知りなのでは言われた。初対面ではあんまり喋らないけど、打ち解けたら普通に話している、お母様やお父様に対してもそんな感じだしという話。

 

たしかに、現象としてはそうに違いない。この性質に名前を付けるのであれば人見知りと言うしかない。でも、ほんとに人見知りだったら今の仕事は初対面の人とばかり接するし、自分のこともある程度開示して相手を引き出すのだから、ストレスかかり過ぎてこんなにまったり日記を書けるような状態ではない気がする。

 

今の職場のストレスは人と接するというより、自分を中心にして人との時間なり作業なりを調整していくところ。迷惑かけて嫌だなというところより、もっと前もってなんとかなりそうとか、コントールして良いところの塩梅が見えてきていないところとか。変化自体は嫌いではないから、ネガティブなストレスは何をどこまでして良いのかが見えなくて、思考停止やら行動停止が起きてしまうところ。行動できる範囲とか思考できる範囲が増えるという負荷はポジティブなストレスであって、問題ない。

 

個人的な名付けだと、僕は人見知りなのではなく「人知らず」なのだと思う。相手が分からない段階だと、どういう階層の話をして良いか分からないから言葉が出ないだけ。言葉が出なくても相手のことを知ろうとする意識があるから話を聞くことに苦が無い。興味を持った風に振る舞うことはできなくても、実際興味は持っているから、自分を知って欲しい人には需要がある。

 

この段階で僕を名前で決めつけてくるような人に対しては付けられた名前のように振る舞わないと、と思ってしまう。こうなると窮屈。決めつけではなくて、自分は貴方のことをこういう性質だと捉えるけども、更新可能という感じであれば、わりと気楽に開示ができるようになる。

 

だいたい後者の人の方が多いのか?

体感だと前者の方が多い気がするのだが、決めつけだとしても、そこから外れた振る舞いが見えた時点で更新するしかないもんな。いや、見ない振りをするとか目に入らないという世界もあるか。

 

もしくは、自分に見えているように相手を誘導なり洗脳するのか。

 

 

アップルパイうめぇ。

 

 

まぁ何にせよ、どんなものでも完璧に確固した存在なんて、神様くらいしか居ないのだろうな。そういう風に発明された概念だし。

 

 

はい、眠いのでおしまい。

 

皆さんもよく眠れますように。

 

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。