ただ話

 

 

22:10から。

 

本日はネギトロアボカド丼をリクエストされたもんで、短冊から作った。

たぶん、市販品を買うより美味しく仕上がっている。

 

あとは、豆苗サラダと付け合わせのレンチンえのきマリネ。バターを乗っけてレンチンして、オリーブオイルとハーブソルトをかけてだし醤油を一振り。

 

ブリのお刺身も短冊から自分で切ったが、美味しい。

 

 

お仕事。

 

絶賛、物を知る進行形。

明日の休みがまた潰れそうだったが、なんとかコントールした。仕事だと自意識があんまりないから、自分より他を考えてしまう。自分を中心とした視界からすれば、とても頭が悪くなるというか。自分が居ないところではもっと広く考えることができるのだから、自分が居るところでも自分を含めて広く見れば良い。

 

成果が上がらなくて、店長からは「おーい」みたいに詰められた。

レギュラーな世界観の人に影響するのはまぁまぁ苦手らしい。

 

ただ、個人的には店長ワールドの言い回しを導入して素の自分ではしないことを試行錯誤してみたし、その手応えみたいなものはあった。人の気分を持っていくスキルを習得中。

 

その後、店長とスーパー事務の人が仕事の仕方を語っていて、成果が出なかった僕を詰めているのかというのが弱気な解釈になる。強気というかフラットに解釈すれば、参考事例として貴重なノウハウを垂れ流してくれているとしかならない。硯にはできないなというニュアンスであれば僕が居る前で語る必要がない。

 

これって、実際どうなのかという理由を当人達に聞く話でもないと思う。

聞くことより、読み取ることが大事。

 

押し引きと、もともとの自分が持っている性質の塩梅をブレンドすることはまだうまくいっていないけども、物知らずでいる限りここから動けないということにはならないから、採り入れてよしなにする。

 

このお二方の手法は経験から抽出された職人芸だから、僕がそのまま使っても使いこなせるわけがない。

 

イレギュラーなお客様との関わりが減ってきたのも世界線がずれてきているのかもしれない。プライベートならまだしも、仕事上だとまずもってスケジュールが組めないのが問題になる。プライベートだったら予定変更は僕がそれに合わせれば良いだけだが、仕事だと周りにも支障を来して、精神エネルギーが摩耗する。

 

そんなこんな、仕事界隈では試行錯誤領域がいっぱいあって楽しい。

 

 

世界線といえば。

 

満月さんが昔好きだった人と若干交信が繋がったという話を報告されて、感想はと聞かれ、「何を今さら」と答えた。この続きは、もはや世界線が離れているのに、どういう理由なんだろうというところ。

 

これを読んだ人からすれば、僕が満月さんに対する独占欲から来た嫉妬と解釈されそうだが、個人的に人を独占できるという感覚は相手を人とみなしていないことだし、嫉妬は全くない。

 

あんまり煩わせるなら話を付けるというところまである。

割と影響を受けやすい少女みたいなのが本質だし、たまたま気分で発信してきただけなら、辞めてくれとなる。良い方向に影響するような文面ではなさそうだし。

 

まぁ、どんな人であれ少年性とか少女性はナカに残っているものだし、そこの機嫌を取りながら生きていくのが人生劇場だと認識している。僕の中身は割と社会性の最低限を気にしながら少年のままでいる。

 

少年性と同年代の若い女性を欲するみたいな感覚はない。念のため。だって、きっと会話していてもつまらない気がする。

 

という感じで、昔の恋人さんに向かう意識が出てきたのか、ふと、もう2番目に長く過ごした元恋人さんとの生活が意識されてきた。

 

というのも、僕が今している生活圏って、その人が東京から大阪にやってきた世界観と近いから。東京であれば友達が居て交流もあっただろうに、新天地で同棲して、自分の出自を知っている人は誰も居ない。だから、僕には恋人という役割に加えて、友人として相談に乗る人でもあって欲しいと言われたことを思い出す。

 

この人と別れてから、そうとうしんどい思いをさせてしまったなと3年ほど引きずっていた。僕が相手で無ければもっと安心して暮らしていけただろうにって。

 

で、実際当時のその人の立場になったいま、僕としては気楽で仕方ない。

友人が居ないことは、自分の時間を過ごせるだけだし、恋人さんに対する愚痴を誰かと言い合って自分を慰めるみたいな性質もない。

 

友人が居ることが自分の確証になるという相対的視点で自分を捉えて居ない。

もう少し現実的なところで言えば、1人で居ることが楽な現代人でしかない。ただ、1人で居ることが気楽な人でもネットとかどこかで繋がっているとは思うし、そこで暖を取っている説はある。

 

別に現実的に人と接することができない人でもないし、満月さんの実家で過ごすのはしんどくないのだが、これが僕の存在を確証しているのかというと別の話。別の話で過ごせるから気楽でしかない。

 

ここからできる友達は、友達が居ることによって自分の存在を見出す人ではない人になるに違いない。友達は世界の一部ではなくて、きちんと独立した人間であって、自分の話を聞いてくれたり、同じ世界でいることに暖を取ったりする対象ではない。

 

これをハードル高いと思うのか低いと思うのかは当人の世界観によりけり。

 

 

なんだか、満月さんからセブンイレブンに行くプレッシャーがかかっているのでここまで。

 

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。