22:09から。

 

 

本日はクリスマスに休みが取れないので、一足早くそれっぽいことを。

 

お昼にステーキを食べ、夜にはアイスケーキを。

ケーキうまい。

 

そういえば、大昔、家族でクリスマスに1度だけアイスケーキを食べたことがあった。

どこのアイスケーキだかは忘れたが、思い出として美味しい。

 

大人になって姉と妹と飲んだとき、母親の手料理の話になって、あんまり美味しくなかったという話があったのもセットで思い出した。個人的には不味いと思わなかったし、僕の今の味覚がまぁまぁまともなのは最初の味覚のベースが家庭にあったことからすれば、問題ないような。大人というか祖母から遡っていく昔ながらの味付けに子供の味覚が合わないというのはあったにしろ。

 

たしかに、ゴーヤの苦み抜きは甘かったような気はする。

子供の苦み嫌いをふまえても。

 

それとは別に、思い出に文句を言っても仕方ない、といまは想う。

当時はふんふん聞いていただけだし、いまその時に帰っても場を乱さないように聞き流すだけだと思うが、なんというか、ただただ不毛。姉は調理師の視覚を取っているのだったか、自分がいまできることの証拠として過去の母親のスキルをあげつらっているような感じだった。

 

姉とも妹とも連絡を取っていないが、いまはどういう人物になっているのだろう。

 

 

僕のいまは明日にはもう変わっている気がする。

 

いや、少なくとも1年後とかだともう結構別人。1年前の自分といまの自分が随分と違うから。経年とか経験とかによる変化ではなく人格みたいなところで。骨格とか顔付きも違っている。

 

別に変りたいと思っている訳でもなく、逆に不変な自分はどこだろうという試行錯誤が内向きに行われている。外向きには、社会的にとか現実的に自分がどう変化していくのかという試行錯誤をしている。

 

それにしては、もう少し書くのが早く正確になっても良いはず。

おそらく、本心がこのままと思っていて意識されていないから一向に進歩しない。時間単位での文章量は微々増えているような気がしないでもないが、使える時間が一定ではないからなんとも言えない。

 

ここ3年程の変化で顕著なのは、一向に体調を崩さなくなったこと。

もともとインフルエンザも最後にかかったのはいつか分からないくらい昔だし、最近流行ったアレにもかからなかったから、あまり変わらないと言えば変わらないのだが、熱が出なくなったのと、出たとしても一晩で回復する感じ。

 

健康に関しては統計と個性が錯綜していてなんとも言えないけども、個人的にはどちらの予防接種も受けていないし(インフルエンザに関しては学校に通っている時に打ったような気がする)、アルコール消毒もあんまり効くと思っていないから、どうしても空気を読んでしないといけない時以外はしなかった。絶対拒否みたいな信念はないからマスクにも抵抗なかったのだが、体に入れる不自然なものはなるべく避けた方が良いなと雰囲気レベル。

 

健康に関して統計が完全に通用しないのは、人間にはプラシーボ効果が通用するから。

人間だけでなく動物にも通用するのかもしれないというのはさておき、何かの医学的な処方の中には本当に医学的に効果が出たものに加えて、医学的には効果が無かったが、プラシーボ的に効果があったものが含まれているのだろうなという気がする。ついでにどちらも効果がなくて、結果的に症状が出てこなかったものも医学的な処方が原因だとされることもあるかもしれない。

 

これって統計的に検証はできるだろうけども、個人的に検証するのはきっと不可能。

なにより結果的に何も無いのが一番だから、個人がもっとも良い方法だと思うものを選ぶしかない。

 

 

 

やれやれ。

 

昔は毎年年末に体調を崩していたような気がする。気が抜けるのか、邪気というか穢れが溜まっているのを発散しているのか知らないが、熱を出して寝込んでいる割合が多かったような。

 

今年も若干そんな感じがある。

先に意識されている時点で大丈夫だとは思うが、一体何が溜まっているのだろう。

 

昨日書いた利害の世界に転移されている可能性。

この世界だと結構他責の世界観になる気がする。

 

別に仕事とか人間関係ではそれで良いと割り切れば良いのだろうが、なんというか割り切って生きるのは、ちょっと違うのではという人格も出てきている模様。

 

外から観て分かれているのは当たり前。

だって、観客には誰かの1側面にしか視界がないから。

 

内から観た視界を外からの視点に合わすのももちろん大事だが、合わしつつもっと全体を繋げて見るようにしたほうが自在になるのかもなとか。

 

 

何かを読むときにはそんな分け方をしていない。スピリチュアルも小説も啓発も実用も学問もフラットの価値であって、どちらがより大事という読み方をしていたら雑食できなくなる。あくまで指標は美味しさでしかない。

 

僕が好きなスピリチュアル系というか神秘系の人はルドルフシュタイナーさん。お風呂読書で読み返しているのだが、生活の中心に畏敬が置かれるようになると修行が進むというフレーズが美味しい。

 

はい、この辺で。

 

年末どうなることやら。

これで実際熱が出たら意志の現実化ができて来たことになる、のか?

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。