頭でっかち

 

 

 

22:53から。

 

明日から仕事。書きたいというより、書いて循環させておかないとパンクするかもしれないという感じ。

 

別に調子が悪いという体感はない。洗い物とか洗濯とか家事は問題ないし、お風呂読書もできる。ただ、本日の日中、ふと、現在鬱傾向っぽいと思う。

 

Kindle読み放題で色々ダウンロードしたのだが、少し読んだらそれ以上読めなくなる。飽きるのではなく、自分にとって必要だと思う物事を採り入れたくない感じ。仕事のことは仕事の時に考えようとか、仕事に使えそうなこととか読みたくないなとか。

 

家事が問題なくできるのは、必要とか不要みたいな次元で捉えて居ないから。

それをしないと結果的に困るけど、困らない為に必要だとはせず、単にすることだとしている。

 

必要なことをしたくないのは宿題嫌いだった昔からの傾向であって若干鬱とも違うかもしれないが、必要だけどしたくないことって基本的に鬱の味がするような。

 

宿題って昨日の日記で言うと情報で常にお腹をいっぱいにしておくことであって、府に落とす時間がないよなーと考えていた昼過ぎ。

 

要は、鬱傾向というのは必要で満腹状態であって、他が入ってこられないという状態。

アウトプットは結構できるから、循環させて何とかなるのかなという試行錯誤。この傾向のときは言葉が分裂している感じもある。書くことがないことはなくて、ただどこから書けば良いか分からないみたいな。

 

もちろん、専門的な定義での鬱のことを書いている訳でもない。

鬱だから一般的な意味でのやる気が生じないということでもないし。

 

そういえば、音に過敏になるのもこの時期なのかな。

今日ちょっと音量の問題で頭が痛くなった(そんな所行くなよという感じだが、たまたま隣の人がMAXにしていて)。

 

 

さておき。

 

思索の吐き出し。

思索って老廃物とか排泄物とは違うから溜まりようがないのだが、吐き出すことによって他のことも出ていくということもあるかもしれないなと。

 

現代詩入門。1人目が大岡信さんで、2人目が谷川俊太郎さんとは、かなり豪華なラインナップ。詩をあまり知らない僕でも知っている人達。とか言って僕はあまり有名ではなさそうな左川ちかさんの詩が好きなのだが。

 

そうして、谷川俊太郎さんが、詩は定義するものではないみたいなことを語っていた。

 

たしかに。語りの中に意味があるのが詩とか、美味しい文章だよなと。

 

 

意味と定義の違い。

 

学校時代の国語辞典の言葉を他の言葉で言い換えた定義というのがまぁまぁ苦手だった。

本日、ハイキュー!!を読み返して、テストで出てくる言葉の意味みたいなシーンでちょっとうげぇとなる。今でも結構苦手ではあるのだが、なんとなくこなせるようになっては来ているはず。

 

言葉ってほとんどは語りの中に意味がある。意味というのは結局ニュアンスとか味わいみたいな感覚的なものであって、固形物として意味があるものではないと思う。生きる国語辞典みたいな人が居たとしても、その人の文章が美味しいのかとは別問題。

 

ここでいう「意」が何を指しているのかは知らない。おそらく発したい思いみたいなものなのかな。意志、意思、意図、意義、意向、、、。意味はそれを味わうことであって言語で言い換えるのは違う。

 

法律学は日本語が使われているけども外国語のようなものだというのを誰か学者さんが書いていたけれど、たしかにそう。ここで扱われる言葉は定義が大事。定義という言葉も言い得て妙で、義って物ではなく概念だから、言葉として実体化というか、人間の知覚で扱えるようにしないといけない。意義、義理、、、。要は、ニュアンスで扱ってはいけない言葉が扱われる学問領域だから、言葉によって限定して論理によって操作していく。論理の中に価値判断が入って来るのは、社会が対象だからいたしかないが、価値判断の領域はなるべく狭めないと、という問題意識もある。

 

この違いがあまり分かって居なかった頃、ちょっと悪いことしたなと思う事がある。

当人きっと覚えていないと思うが。

 

民法の本質には、個人の権利能力の平等と、所有権絶対と、契約自由があるとのこと。

この世界だと、個人は抽象化されて、細かい事情はしん酌されない。個人を平等に均したい勢は、どうやって事情を均すなのだろうなとふと思った。

 

 

ともかく。

 

意味は拡張で、定義は限定。結果的にはどう読み取るかで同じことになるのかもしれないが、個人的には言葉のこの区分けというのは銘記しておきたい。

 

僕の文章はほとんど意味的にしか書いていないが、法律パートとか数学パートはちょっと定義的になっているだろうし、調子が悪いときにはいろいろ決めつけるという定義的になっているかもしれない。

 

数学も定義的に考えればもっと上手く習得できるのか。

 

民法で言えば、家族法がすこぶる苦手。家族の範囲を定義して権利義務関係ないし相続の範囲が決まるなぞ意味が分からない。こちらも定義的に読むようにすればなんとかなる、のだろうか。

 

そろそろ寝ないと。

 

自分も定義されるものではなくて意味されるものとした方が気楽に生きられる気がする。

 

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。