恋と愛



 

 

22:03から。

 

 

本日は趣向を変えて、作ったご飯画像を公開してみようかという気分。

 

なんでも良いとリクエストをいただいたもんで、僕の培ったスキルを全開放しつつ自分が食べたい物と満月さんが美味しく食べられる物でバランスを取ってみた。

 

そういえば、本日のお月様って満月っぽい。実際は完全ではないかもしれないが、そう見えたのだがから仕方ない。

 

若干ややこしいが、満月さんは実在の人物。

ちょっと前の日記の恋愛感情の下りでショックを受けているという申告があったから、ここは後でもう一度書く。「恋愛」なのか「感情」なのか、どこに焦点を当てるかによって話は全然変わって来るが、あとのことは数十分後の自分に任せる。

 

もう1つそういえばだが、僕が日常的に自分が作ったご飯を食べて貰っているのは、満月さんが初めてだとふと起き抜けに思った。昔ある程度一緒に生活した恋人さんの時期には僕は料理担当では無かったし、その前後は生活までいかなかった。

 

このある程度長かった恋人さんと離別してから作るようになった。自炊が必要だったというのもあるけれど、いま想えば、誰かと生活しても問題ないようにするための準備だったのかもしれない。作ってもらうだけの生活って平等ではないというか、不均衡だし。その不均衡の極致が最初の家庭だと思う。与えられることしかできない。

 

その分勉強しろと言われそうだが、勉強と生活って全く対価関係にないような。

 

 

ともあれ。

 

本日の料理の話。

 

炭水化物が足りない感じだから、塩焼きそば。満月さんが塩焼きそば好き(僕も好き)だから、ニンニクを利かせてもやしを加えて、鶏ガラ顆粒出汁で整えたシンプルな味付け。シンプルで美味しいってなかなか難しい。

 

上のメインは、僕の食べたい物で作った。鶏肉はちょと身びいきだが、きのこが食べたくなった。きのこの味って、固有の美味さであって、代替物がない。ぶなしめじと舞茸に白菜も加えて、生姜ベースの中華醤油っぽい味付けで水溶き片栗粉を加えてとろみを付けた。

 

サラダは、なんとかリーフをちぎってさっと茹でたスナップエンドウに鰹節とマヨネーズをかけただけの手抜き。何とかリーフは品種改良されているのかは知らないけれど、青臭さが薄いから、生野菜が好きでは無い満月さんでも食べられる可能性がある。

 

もう1つの白い副菜は、玉ねぎのオリーブオイル浅漬け。特に水に浸けたりせず、塩を少し加えただけのこれも完全な手抜きだが、個人的に常備菜にして良いくらい美味しい。常備菜にしたらもっと浸かって味がまろやかになるだろうな。

 

おそらく、原価が700円にはいっていないくらいのラインナップ。

鶏肉が300円と少しを占めているが、他はかなり安い。

 

別に節約意識はほとんどないから、原価が高い物を使った料理も良いと思うが、日常の肉体のメンテナンスを美味しく過ごすのであればこれくらいで十分だと思う。

 

共同生活における料理って、結構難しいところがある。

どちらかが完全に作るということであれば齟齬は生じないだろうけども、両方が作るのであればどうしても衝突があるだろうし、生活における存在意義が料理に置かれているとすれば、ぽっと出で料理されるとマウントを取りたくなってしまうとか。そりゃあ1回で良いんだったら、時間も労力もいっぱいかけられるわなとか思われそう。

 

料理に対してそういった意識があるのは当たり前で、ある意味これもその人の中身が現に表れたという表現物だから。表現に対して自負があるのは当たり前のこと。仕事として金銭換算されたくなる気持ちも分かる。ただ、市場の俎上に載せるべきことのなのかというと、個人的にはプライスレスにしておいた方が良い気がする。たしかに家事全般ってプロを外注することができる商売になっているけども、そこで効率化していったい何を生活するのかと勝手に思う。

 

 

という、柵を排した独り生活3,4年くらいの間に蓄積してきたことがいまの生活で満月さんのお腹を充たせることになっている世界線はとても良き。

 

 

僕はスキルとしては共同生活をすることにおいて割とハイスペックだとは思う。

呑んべえだけども飲み過ぎて家事をしないということはない。洗い物と洗濯はまぁまぁできる。ついでにアイロンがけとか。

 

ただ、僕のお風呂読書とか、この日記時間を尊重してくれる人って、あんまり居ないような気がする。一緒に居るときは自分を大事にしてよっていうのが恋愛感情だろうし、共同生活において無駄でしかない。無駄を赦せるのが恋愛感情であるという説もありうるが。

 

僕はあんまりそういう意識が無くて、僕の為に過ごすより、自由に生きた上で帰って来るところが共同生活の場所であれば良いような感じ。満月さんが2時に帰ってきた件もなんのショックも無く、自由になって良かったなという感じでしかない。変な縛りを付けないことって、独占欲みたいな恋愛感情からすれば愛が薄いと捉えられそうだが、そこに本当に恋とか愛があるのかという話。

 

いや、別に個人的には独占欲が恋愛感情の本質とは思っていない。

僕の経験則からすると、恋は対価関係なのではないかという説。自分が費やすのは相手から返って来るべきという当人劇場のお話。

 

ここの駆け引きは確かに面白いのだが、終着点がだいたいまぐわいだからなんとも言えない。満月さんは僕がいっぱい過去の恋人さんとまぐわっていると想像しているっぽいが、お付き合いした人数よりもまぐわった人数は遥かに少ないという。

 

まぐわいに向かうように関係しなかったからということになるかもしれないけど、変な話、身体が開いたとて心が開くとは言えない。この話これ以上書かないようにする。

 

恋と愛の違いの本質は、人生劇場において主体が自分なのか相手なのかとだと思っている。

 

恋の感情では洗い物はできないし、未来予測無しのただいま、自分と相手の世界縁を交わらせたいという瞬間の熱量なのが恋。あくまで視点は自分だし、自分の中で相手のことを慮っていることが相手の為になっていると思い込める世界観。

 

愛はもっと広いというか、自分がやったことが返って来ないといけないという方向性ではないような気がする。返って来なくても与えて良いのは、基本的に親子関係でしかありえないけども、これが共同生活でできたら喧嘩は全く起こらなくなる。

 

満月さんとはそれができそうという意味で、稀有なんだよな。

お互いが遠慮しなくても恙ない。

 

どうでも良いけれど、満月さんは結構書き手っぽいから、燻って居るのは書き手の領域なのではと勝手に思っている。それによって何か不具合がある訳でもないけれど、生活度外視して書きたくなったら、別にそこはやるけどなという感じ。

 

この表現者たる相手を尊重するのって、別に恋でも愛でもない。

それを書いてくれると面白そうだという好奇心。

 

まぁ、僕との生活で書く時間がないと言われたら、申し訳ございませんと言うしかない。

 

はい、ここまで。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。