むいみ
22:13から。
本日はお風呂読書をした。読書ができる日もできない日も楽しいで良い。
昨日のお父様と話したことを満月さんに語っていて、「賢い」のフレーズに対して「上から目線」と言われた。この言葉には「自分には劣るけどまぁまぁ」みたいなニュアンスが含まれているというのは分からんでもない。ただ、そうなると、ほんとに自分とは無関係で頭が良い人を表する言葉として「賢い」は使ってはダメなのだろうか。
僕がこの言葉を使うのは、知識があるとか頭の回転が速いとかではなく、単に自分の経験外のことに対して畏まれるくらいの脳の余裕があるというニュアンスであって、僕と比べてどうかみたいなことは関係ない。賢いなんて言葉は畏れ多くて自分には使えないし。
前職の先生も賢いと使う時は、自分の発想外のことに対してだったような気がする。
別に語用がどうでも良くて要は本質だという表層的な一般論よりも、言葉って本質の表現だから、変な語用は改めた方が良いのだろうと今のところはなっている。
満月さんには意味不明な語用率が高いのは、割と本質に近づいている。笑
昨日は寝る間際、「ぽんぽこびー」と「ぐーすかぴー」を連呼していた。まじでやべー奴だ。我ながら。ただ、特にこの言葉によって自他を操作するという意味はないから、単に迷惑なだけで終わる。
いや、それで終わっているのかどうかは満月さんに聞いてみないと分からないけども。
お仕事の話と脳の回転の話。
切り返しが遅いとこの営業マン大丈夫かと思われるという話が店長からあって、たしかになぁと思い、回転数を上げることを意識している。
同じ感じの立場の人に対してはこの回転数で問題なさげ。回転数が一致しているというよよりは、規定の回転数に調律できる。
ただ、お客様への応対にこの回転数だと不味いらしい。
相槌を話途中に被せてしまう傾向になるのは改めなさいと言われた。
この辺文章脳なのか。別に相手の話を遮ってまで話したいことがある訳でもないのに、ギアが噛み合わない感じがある。
これは自覚があるから、もっと遅くせねばと思うのだが、遅くし過ぎると相手の世界観のギアに完全に付き合うことになって、それって関係なのかという感じになる。
要は、手番をはっきりさせてきちんと対話しましょうというお話。
ただ、対話って別に卓球とかスカッシュみたいに交代でやるものなのかという観念は個人的には微妙なところ。別に割り込んでやらかされる方が個人的にはお好みだし、そういう一般論を越えたところにあるのが個人的な関係な気がする。
いや、仕事でそんなことはやってはいけないのも分かる。
結構なジレンマ。
ここでバランスを取るのは大変だなぁ。
本日集中できていないから、この辺りでおしまい。
最後に凄くどうでも良い話。
神様が縁を切るべき相手との関係の警鐘のところで、何か雨が降るというのがあった。
いや、これって、人が決めているだけだよな。
変な悪寒があるとか気分が乗らなくなるというのは結構ありそうだと思うけども、天気を人の価値観で決めるのは悪手。
神様が居るとしたら、天気に価値の優劣を付けるはずがない。晴れだったら何も不具合が無いという意味で人間にとっては都合が良いけれど、雨が無いと全体的に水不足になる。
そんなに個人にご都合主義に神様は運用されていないような。
まぁ、それで人生劇場の行く先を決めるという価値観は当然あって良い。
僕がそれを選ばないからと言って、選んでいる人が愚かだという価値観は僕には無い。
ここまで。
ボリュームが少なくて食べ応え無くて申し訳ない。
おやすみなさい。
良い夢を。